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エンタメのひろば36-4
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今度も、わたし(@◎@)とオレ( - )が
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なんだ、CBCはローカル枠を持っていながら、野球中継を切るのか。
ローカルスポーツは中京テレビ・『スポーツ魂』の十八番だろ。
30分前にいやがらせしているとしか思えん。
(`Δ´)
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3カード連続勝ち越し、8勝1敗…防御率少し悪いが、4/5のSB戦で15点取られたのが押し上げてるか…このまま走ってくれるのか、イーグルス仙台に2度目のチャンピオンフラッグをもたらしてくれるのか?
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>>661
あ〜、日本シリーズでドラゴンズと対戦する10月が待ち遠しいですね。
ヽ(ヽ・_・) ωΦ)
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>>663
そうあってほすぃねぇฅ(ФωФ)ノ
楽天イ〜グル〜ス
楽天イ〜グル〜ス
勝利を掴ぁめ〜
楽天楽天イ〜グル〜ス〜
🎤ฅ(ФθФ)ノ🏁
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『ザ・ファンクスvsアブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク組』
1977年12月15日、『世界オープンタッグ選手権』の最終戦である。
「オープン」の言葉には「門戸を開く」という意味も込めた。
参加チームを見ると、馬場、鶴田組、ファンクス、ブッチャー、シーク組、韓国代表として、大木金太郎、キム・ドク組、国際プロレス代表として、ラッシャー木村、グレート草津組、デストロイヤー、テキサス・レッド組、高千穂明久、マイティ井上組、天龍、ロッキー羽田組、まさに「夢の顔合わせ」という観があった。
すでに馬場、猪木のBI砲を倒すなど、知名度のあったファンクスだが、なんとこのリーグ戦が、2年9ヵ月ぶりの兄弟タッグ日本復活となった。
加えて、ブッチャー、シークの「史上最凶コンビ」が日本で正式にコンビ結成というのも、大きな話題となった。
(`皿´)人(`皿´)
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ブッチャーを見出だし、育てたのも、ザ・シークであった。
シークは、ブッチャーに数々のノウハウを授ける。
つま先の尖ったシューズをブッチャーに提案したのがシークなら、『吹けよ風、呼べよ嵐』も、もともとシークのテーマ曲だった。
シークはよく、こう言ったという。
「客の想像の上を行ってこそ、真のプロなんだ!」
もっとも必要なもの、それはインパクト。
そして、この名勝負にはそれがあった。
「あぁ!フォークだ!」
(倉持隆夫アナ)
(・皿・)
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あ〜金賢姫も歳とった。
(・_・)
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ブッチャーがテリー・ファンクの右腕をメッタ刺しにする。
プロレスの場合、流血はほとんど額からするものだ。実際、ブッチャーも「フォークで腕を刺したのは、あれ一度きり」と語る。
ブッチャーが狙ったのが右腕だったことが、後の興奮に輪をかける。
テリーは左利きなのだ。
「左のストレート!」
(倉持アナ)
テリーが反撃。
試合は最凶コンビがレフェリーへの暴行で反則負け。
2011年4月、ブッチャーはWWEの殿堂入りを果たした。
プレゼンターが、その横顔を紹介する。
「私とドリーは、日本で彼と何回戦ったかわからない。しかも、フォークで刺されたんだ」
テリー・ファンクだった。
そこにブッチャーが登場。手にはフォークを持っていた。
日本のオールドファンにはたまらないシーンだろう。
日本の≠ニいうのには理由がある。
ブッチャーは、WWEに登場したことがないのだ。
にもかかわらずの殿堂入り。
「客の想像の上を行ってこそ真のプロなんだ!」
シークの教え。
その姿勢が、伝説を生み出したのだった。
(・皿・)ノ
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おお、私服の小池栄子。
(・_・)
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