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【日本の闇】真太郎212
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【日本心のスレ】 バカ父親!おパンツ!ドモリ!毎日毎日、機械に張り付いてシツコイわ!キモ声で寒気がする。【生ゴミ出し有料地域.輪西ルンペン.白老ルンペン.おパンツ.ドモリ、バカ父親、バカ母親.檻付き精神異常者(苦笑)】柔軟剤キモデブ一家→核のゴミ置かれても理解出来ないんじゃないのかな?町の人達が亡くなってても自分主義過ぎて理解出来ない精神異常一家。
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上皇さま、卒寿(90歳)の誕生日 生物学研究所に今も週2回通いハゼを研究
12/23(土) 0:00ABEMA TIMES
上皇さまが23日、90歳、卒寿(そつじゅ)の誕生日を迎えられました。
【映像】赤坂御用地で撮影された上皇ご夫妻の映像
上皇さまの90歳の誕生日に際し、宮内庁はお住まいの仙洞御所がある赤坂御用地で今月7日に撮影された、上皇ご夫妻の映像を公開しました。
お二人は規則正しく静かに、穏やかに過ごされていて、映像の景色は、毎日の夕方の散策でご覧になっているものだということです。
上皇さまは去年7月、右心不全と診断され、診断指標であるBNPの値が現在もややく、少ない量ながら胸に水がたまる症状も認められるということです。一方、薬を服用したり、水分の摂取を制限するなどして、去年12月以降は比較的安定した状態が続いているということです。
上皇さまは皇居にある生物学研究所に今も週2回通い、ハゼの研究に取り組まれています。すでに発表した論文の内容が今も有効であるのかを再検討することに、特に情熱を注がれているということです。
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23日は誕生日のお祝い行事が予定されていて、天皇皇后両陛下らからお祝いの挨拶を受けられるということです。(ANNニュース)
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上皇さまの90歳祝う 両陛下、秋篠宮ご夫妻ら
仙洞御所に入られる天皇、皇后両陛下=23日午前、東京・元赤坂(代表撮影)
上皇さまは23日、卒寿となる90歳の誕生日を迎え、東京・元赤坂の赤坂御用地にある仙洞御所で祝賀行事に臨まれた。上皇后美智子さまが同席し、天皇、皇后両陛下や長女愛子さま、秋篠宮ご夫妻や次女佳子さまら皇族からお祝いのあいさつを受けた。
午前11時10分ごろ、両陛下は赤坂御用地に入る際、車の後部座席の窓を開け、沿道に集まった人たちに笑顔で手を振った。愛子さまは別の車で仙洞御所に向かった。
上皇ご夫妻は、岸田文雄首相ら三権の長や、側近部局の上皇職職員、宮内庁の西村泰彦長官ら幹部からも祝賀を受けた。夜には、秋篠宮家の長男悠仁さまがお祝いのあいさつに訪れた。
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上皇さま90歳 まるで女優のように美しい美智子さまが「世紀の結婚」からいつも傍らに
永井貴子
メキシコ訪問で大統領夫妻と記念撮影をする明仁さま(上皇さま)と美智子さま=1964年5月、メキシコ
上皇さまは12月23日、90歳の卒寿を迎えた。戦前の1933年(昭和8年)に長男として誕生し、戦時中は疎開生活も経験。19歳のときには英エリザベス女王の戴冠式に昭和天皇の名代として参列し、58年に美智子さまと結婚してからは65年の歳月を過ごした。背負ってきた重責を「平成」の終わりとともに下ろし、現在はおふたりで穏やかな生活を送っているという。
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「自分は、普通の結婚の幸せを保証してあげられない。皇太子という特別な立場にあって一番大事なのは公の義務であって私事はその次の問題である」
長野・軽井沢での「テニスコートの恋」から、世紀の結婚へ。世間では皇太子の明仁さま(上皇さま)がひたすら美智子さまを口説いた、という印象が強かった。しかし、「幸せを約束する」と口にすることはできなかった。
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訪れた宮崎市青島で、小さな貝を手にした美智子さまと語らう明仁さま(上皇さま)=1962年5月
上皇さまは2018年12月、天皇として最後に迎えた85歳の誕生日会見で、国民への感謝とともに、美智子さまへの想いをこう口にした。
「振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来(じらい)この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました」
そして、「天皇としての旅を終えようとしている」と語った。
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■視線の先にはいつも美智子さまがいた
若いころの明仁さまは、あふれる愛情を言葉にはしなかったが、その視線の先にはいつも美智子さまがいた。
イランの古都イスファハンの寺院を訪れた明仁さま(上皇さま)と美智子さま。奥には美智子さまを撮影する明仁さまの姿がある=1960年11月、イラン
1960年のアジア・アフリカ4カ国訪問で、イランの古都イスファハンのイスラム寺院を訪れた。市民の歓迎に手を振って応える美智子さま。その奥には、美智子さまの姿をムービーで撮影する上皇さまの姿がある。
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17世紀後半に建てられ、アジア最大級の規模を誇るパキスタンのバードシャーヒ・モスクを視察する美智子さまは、赤い靴カバーをつけている=1962年1月、パキスタン・ラホール
1962年のパキスタン・インドネシア親善訪問では、明仁さまは発熱などで3度、体調を崩した。公務の傍ら、看病を続けた美智子さまも、疲労がたまったのか帰国間際に発熱してしまった。
帰国便が羽田空港に到着し、タラップを下りるおふたり。明仁さまは心配そうに何度も美智子さまを振り返り、気遣う様子をみせた。
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西パキスタン州知事公邸に到着した美智子さま=1962年1月、西パキスタン(現パキスタン)のペシャワル
■「上皇さまを最後まで支えることが私の役目」
「即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました」(上皇さまの85歳の誕生日会見)
重責を背負ってきた日々を、乗り越えたおふたり。現在は東京・赤坂御用地の仙洞御所で穏やかに暮らしている。
上皇さまは毎週月曜日と金曜日には皇居にある生物学研究所で、ハゼ科の魚についての研究も続けている。
美智子さまと20年以上の親交がある絵本編集者の末盛千枝子さんは、この夏に仙洞御所に美智子さまを訪ねた。部屋にはハゼが泳ぐ大きな水槽があった。
穏やかでとりとめのない話もあったが、美智子さまは戦火が続くウクライナ情勢などについて心を痛めていたという。
そしてご自分たちの生活については、「この赤坂の仙洞御所で上皇さまを最後まで支えるのが、私の役目だと思っています」と話したという。
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全国高校野球選手権大会の開会式に出席した明仁さま(上皇さま)と、その横顔に笑顔を向ける美智子さま=1968年8月、阪神甲子園球場
12月、おふたりは私的に都内の劇場を訪れ、クリスマスの夜を舞台に少女クララの心を描くバレエ作品「くるみ割り人形」を楽しんだ。
終演後、穏やかにほほ笑みながら退席するおふたりに、場内では自然と拍手がわき起こったという。(AERA dot.編集部・永井貴子)
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