302 昭和が終わり平成にかわったころ。まだ、昭和の香りが残り、繁華街にはあやしい雰囲気が残っていた。ポン引きも歩いていて、電柱にはステ看もたっていた。ステ看にはピンクビラが貼ってあった。 まだ、若かった俺は、ステ看からピンクビラをちぎり地図を見てピンサロに入った。一度ピンサロ行ってみたいと思っていた。思いきって入ったのだった。昼サロだった。 ミニスカートのおばさんがでてきて「あなた若いのね。学生さん?ここはダメよ。いくら持ってるの?1万円?いいわ。あたしが話をつけてあげるから帰りなさい。せっかくだから手でしてあげるわね」と言ってテコキをしてくれた。 店をでた俺は、あれが噂の暴力ピンサロだったんだろうか。おばさんは逃がしてくれたんだなと思った。夏の昼間の太陽がギラギラと焼けるように熱かった。冷やし中華食べよ。俺は歩きだした。足は震えていた。 (・ω・) 匿名さん2021/06/22 06:581
304 「生き霊」 それは今から十五年ほど前の話になります。 当時、私はまだ夜遊びから抜けきれなく、地元の歓楽街にあるクラブに足繁く出入りしていました。そこで先輩からMちゃんという女性を紹介されたのですが、その子は私の高校時代の友人の彼女の幼なじみで、遡ること10年以上前にみんなで二、三度一緒に食事に行ったりカラオケに行ったことのある子だったのです。その子は私と歳は近いのですが、見た目が非常に魅力的で、最初に会ったときから気に入っていたのですが、1先輩に引き合わせてもらう形で10年ぶりの再会を果たしたのです。 彼女も私のことをしっかり覚えていて、それをきっかけに良く二人で遊ぶようになったのです。 私は再会を果たした瞬間から、Mちゃんに心を奪われていました。彼女は非常に外に出歩くのが好きで、寝る時以外は自宅に帰らないぐらい夜遊びが好きな女性でした。 主2021/06/23 18:004FkqoEEBMI
305 304つづき Mちゃんは食事や飲みに誘うと翌日に仕事があろうが無かろうが、ほぼ必ず出てきて深夜まで遊ぶような子でした。 彼女はとにかく交友関係がやたらと広く、地元のプロサッカー選手やプロ野球選手とも繋がりがあって、とにかく男からやたらモテるのですが、いわゆる典型的な「小悪魔」でした。 私の気持ちを弄ぶように、彼らとの浮いた話を小出しにしてくるような子で、一般的に性格が良いかと言えば、ぶっちゃけ悪い方のカテゴリーに入るだろうと思います。 しかし、私はすっかりMちゃんにどっぷりとハマってしまい、正式に付き合ってはいないけど、飲んだ後そのまま部屋に泊まったり、旅行に行くような仲になっていました。 だけど、私の心はいつも不安でいっぱいで、いつも私以外の誰かと遊んでいる彼女の動向が頭から離れなくなり、辛い日々を過ごしていました。 後日につづく 主2021/06/23 18:234FkqoEEBMI
306 305つづき ここまでの流れだと、私が生き霊になってMちゃんに取り憑いたのかと思うかも知れませんが、私は日を追うごとに彼女の小悪魔的な性格に嫌気がさしてきたのです。Mちゃんと会う頻度は徐々に少なくなっていき、自分からは連絡を取らなくなりました。しかし、Mちゃんからは一定の頻度で連絡があり、私は少し彼女のことを面倒くさくなっている自分に気づき、もう彼女のことは何とも思っていないことを再認識したのです。 そうこうしているうちに、きちんとした付き合いの彼女が出来て、私はその彼女の存在をMちゃんには敢えて伝えずに、メールのやり取りだけが続いていました。 そしてその年のゴールデンウィークに、その新しい彼女と温泉に行くことになり、温泉地へと車を走らせると、その行動をまるで見ていたかのように、Mちゃんから突然電話がかかってきたのです。 つづく 主2021/06/25 20:264FkqoEEBMI