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(・ω・)←八王子のキンタマと戯れるスレ
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ここでやれキンタマ!
579
>>576
いい線行ってると思います。
「時」(存在)は意識と関連している。
意識があるから「存在」がある。
唯物論歯「存在」(もの)は「意識」に先立つ、意識がなくても存在は先にあるとう考えで、これは現代の科学的世界観です。
一方、「意識」が先にあり「意識」があるから意識への現れとして「存在」がある、「意識」が「存在」よりも先だという考えが観念論です。観念論は今の科学的世界観の時代において分がわるい状況かもしれません。
私の考えは「意識」あるいは「存在」のどちらかが先にあるというより、「意識」と「存在」は「同時」だと思います。
「意識」があるから「存在」があるという考えである点では観念論の考え方と同じです。
580
>>579
おかしな誤字がありました
唯物論歯→唯物論は
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レスが交互になっていて、さらに、
話があんまりかみ合っていませんね
582
>>576
「時は始まりであり時は終わりであるかもしれない。流れてなんかない、時がある。これだけ」
↑これいい線行ってると思う。
「時」は存在であり、在るんです。
583
>>579
世界は人間の認識の中にしか存在しない。人間の認識が世界を構築してる。存在などないって理解は違うかなと思います。
人間は人間の認識の中でしか世界を認識できない。認識は人間の内側にしか存在しない。世界は人間の認識である。これは確かです。
しかし、人間の認識の外側になにもない。とゆうのは違うかなあ。世界はある。世界も時も確実に存在する。
しかし、人間は世界の実相、時の時間をにたどりつくことはない。人間は自分の認識でしか、世界も時も認識することはできないから。認識したものは実相とずれます。でも、世界の実相、時の実相は存在する。と思いますよ。
(・ω・)
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>>583
素晴らしいレス。
私は人が全て(すなわち人の認識が全て)だとは思いません。
実はもっと上のレベルがあるのです。
この唯物論についてもっと他の皆さんの考えも聞きたい。皆さんと語り合いたい。
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補足
Aという「時」からBという「時」へ変化したとします。
AとBの間が「時間」です。AとBの「間」とは何か。AからBへの「移り変わり」です。(←これが「時間」)
「存在」と「実在」は違います。
「存在」は意識のレベル(人のレベル)です。「実在」は意識のレベルを超えています。「意識」のレベルが全てではありません。
科学的世界観(唯物論)はまだ未熟な世界観です。
世界の中で「時」とか「時間」という得体のしれない何かが流れているのではなくて、世界そのものが「時」なのです。
そして、「時」は移り変わっています。
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認識とは関係ないですが、人類が時間を計るのが必要になったのは農業を始めたからなんて話しもありますね。
季節が正確にわからないと、いつ種をまいていいかわからないわけです。種を蒔く時期、収穫の時期を知る必要が生じた。だから時間を計る必要性が生じた。そんな話ですね。
(・ω・)
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コントラバス奏者の人が電車でコントラバスを運んでたら、人にぶつかられてコントラバスが壊れた。ぶつかった人は去っていった。捕まえたら賠償金とれるのかな。こんなツイートで賛否両論らしいですが。
なんでこの人、他罰的で攻撃的なんでしょうね。ぶつかられるってことは、ぶつかられるようなとこにコントラバスのような巨大なものを置いて立っていたとゆうことです。危険行為です。過失はコントラバス奏者にありますね。
そんな、ばかデカイ荷物を駅のホームなんでしょうか、電車の中なのでしょうかどっちでもいいですけどね。人が通るであろうところに置いておくってのが間違いなんです。
あほみたいにデカイ荷物なんだから人がぶつからないように人の邪魔にならないとこに置くべきです。人がぶつかってケガしたらどうするんですか。人がケガするよりコントラバスが大事です。あほですかと思います。
コントラバスにぶつからせてごめんなさい。おケガございませんでしたか。これが正しい態度です。
なんで俺は悪くない賠償金払えって思えるんでしょうね。
(・ω・)
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