016 <あのころ>上皇さま、葉山で和船こぐ 15年前の9月14日 2009(平成21)年9月14日、葉山御用邸で静養中の天皇陛下(現上皇さま)は皇后さま(現上皇后さま)や秋篠宮妃紀子さま、秋篠宮家の長男悠仁さまを乗せ、昭和天皇が海洋生物の採集に使っていた和船をこがれた。「櫓は割合、てこの原理でそんなに力がかからないのではないでしょうかね」とこぎ方のこつを解説した。 匿名さん2024/09/14 05:051
018 女優・吉永小【百合】の夫で元テレビプロデューサーの【岡田太郎】さん死去 94歳 73年9月、吉永小百合・岡田太郎夫妻がヨーロッパへの新婚旅行から帰国 女優・吉永小百合の夫で元テレビプロデューサーの【岡田太郎】さんが【3】日午前【1】時【15】分、胆のうがんのため【死】去した。【94】歳だった。 【 岡田】さんは【1930】年東京都生まれ。旧制都立高校出身で総理府、文化放送などを経て、【59】年に開局間もないフジテレビに入社。ディレクターとして早くから頭角を現し、昼のメロドラマを定着させた。既婚男性に思いを寄せる女性を主人公として登場させ「【よろめきの太郎】」の異名をとった。また俳優の表情の細かな変化を伝えるため独自の演出法を用い、「【アップの太郎】」とも呼ばれた。フジテレビ取締役、関連会社の共同テレビ社長もつとめた。 匿名さん2024/09/14 05:20
019 吉永とは1964年ごろに知り合い、主演女優、演出家としてはフジ系「【愛のはじまるとき】」(73年4月)を手掛けた。吉永が25〜26歳のときに過度のストレスで声が出なくなり、女優生【命が危ぶまれた】際、精神的な支えとなったのが【岡田さん】だった。 出会いから9年後の73年8月に結婚。当時吉永が28歳、岡田さんが43歳で15歳差だった。岡田さんには離婚歴もあったことから、日本を代表する清純派女優の結婚は、大きな衝撃を与えた。後にわだかまりは解けるが、吉永の両親が娘の結婚に承知しない中で結婚式が行われたことも、世間の注目を集めた。 吉永は、【岡田さんについて】「私の【方から思いを伝えました】」と明かしている。【長年、第一線で活躍】できた背景には【岡田さんという心の安らぎがあったことが大きかった】という。岡田さんは「好きなワインを飲むため」としながら、吉永のためにも積極的に料理を作っていること、体力維持のために毎週のようにゴルフをしていることを吉永が近況として語ったこともあった。 匿名さん2024/09/14 05:26
020 吉永小百合 両親の反対を押し切り結婚して51年…出会いは19歳、9年後挙式に両親姿見せず大きな話題に 女優吉永小百合(79)の夫で、元共同テレビジョン会長の岡田太郎(おかだ・たろう)さんが3日、胆のうがんのため都内の病院で死去した。94歳。東京都出身。家族葬を済ませての発表となった。喪主は岡田小百合(吉永)。後日「お別れの会」を予定している。 1973年、岡田太郎氏と結婚式を挙げた吉永小百合 吉永小百合ってどんな人?略歴、トリビアも! 吉永の両親の反対を押し切って1973年8月に吉永と結婚して以来、半世紀以上にわたって仲睦まじい夫婦生活を送った。吉永は悲しみをこらえて新作映画の撮影現場に戻った。 献身的な看病も実らず、最愛の夫が天国に旅立った。岡田さんが90歳を過ぎてからも夫婦そろって旅行やゴルフを楽しんだり、クラシックコンサートに出掛けたりと、周りの人々がうらやむほどの夫婦仲の良さで知られただけに吉永を心配する声も尽きない。 匿名さん2024/09/14 05:34
021 岡田さんは文化放送を経て1959年にフジテレビに入社。プロデューサー、ディレクターとして手腕を発揮し、女優を美しく撮りあげる独自の演出法で「アップの太郎」と呼ばれた。「日日の背信」などの昼のメロドラマや「時代劇スペシャル」などを手掛けた後に共同テレビに移って社長、会長、取締役相談役などを歴任した。 吉永との出会いは映画「愛と死をみつめて」公開直後に制作されたドキュメンタリーだった。この番組のプロデューサーを急きょ任されたのが岡田さんで、当時19歳の吉永のヨーロッパ旅行に約1カ月同行した。 それから9年後の73年に結婚することになるが、2人を接近させたのは、働き詰めによるストレスで声が出なくなった吉永を岡田さんが支えたのがきっかけだった。離婚歴があり、15歳年上の岡田さんだったが、吉永の方がぞっこんで、結婚へと突き進む。 匿名さん2024/09/14 05:35
022 当時人気絶頂の女優と岡田さんの結婚は大きな話題を呼んだが、拍車をかけたのが吉永の両親は猛反対だった。73年6月28日に婚姻届を提出し、8月3日に挙式。岡田さんのフジテレビの同期で歌手の畠山みどりの夫君、千秋与四夫氏の豪邸を借りて愛を誓い、その後は東京・新宿の京王プラザホテルで披露宴を開いたが、吉永の両親はついに姿を見せず、当時は大きな話題を呼んだ。 それから夫婦生活は50年を超えたが、十二指腸かいようなど岡田さんが体調を崩した際は、吉永がかいがいしく看病を続けた。 ▼吉永小百合(直筆の書面で)夫 岡田太郎は、昨年12月に胆のうがんと診断され、化学療法の治療を受けていましたが、転移もあり、症状が進んで、他界致しました。病気に対しては、回復をめざして常に前向きでしたが、9月3日、94才で永眠いたしました。大往生だと思います。私は地方での仕事を終え、病院に駆けつけ、傍に寄り添って看取ることが出来ました。生前の皆様のご厚情に深く感謝し、心からの御礼を申し上げます。 匿名さん2024/09/14 05:36